やまだです。
いまさら、言うのも恥ずかしいくらいのタイミングですが、
あけましておめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
2016年の12月31日と2017年1月1日は、くっついているんですが、
ものすごい断裂があるのを感じますね。
2016年のことを書こうとすると、ものすごい抵抗がありますが…
下書きに入っていたし、これについては、やっぱり書いておきたい。
2016年の言葉―ポスト・トゥルース
本当に、古臭い話ですが、
今年の世相を表す言葉、年末になるとにぎやかに報道されてましたね。
2016年は、「保育園落ちた、日本死ね」が物議をかもしだしていました。
賛否両論ありましたが、悲しい言葉だと思いました。
京都のお寺は、「金」を選びました。毎年、見事な文字で関心します。
外国でもあるんですよ、このようなものが。
イギリスの辞典で有名なオックスフォードが選ぶ、今年の言葉というのがあります。
2016年の言葉は、post-truth(ポスト・トゥルース)になったそうです。
そのまま訳せば、真理に取って代わるもの、ぐらいの意味でしょうか。
ちょっと、聞きなれない英単語ですよね。
ポスト・トゥルースというのは、
「世論形成において客観的事実よりも感情や信念へのアピールが影響力を持つ状況」
と定義されています。
なるほど、事実よりも、個人の感情や信念のほうが、世論形成において優位に働く、ということでしょう。
もし、「事実なんかどうでもいい、俺の言ってることが正しいんだぜぃw」
みたいな人が、強力なオーラ放ってて、支配的な雰囲気だったら怖いです…
いわゆる、熱狂的な空気です。
この言葉は、2015年よりも20倍の頻度で使われ、
特に、米国大統領選挙と英国のEU離脱を報じる文脈の中で多用されたそうです。
古典的なマスメディアの主張として、「熱狂の中、米国大統領は選ばれ、EU離脱が決まった」と言いたい。
世界は熱狂的で、いよいよ危ない、って。
そうかもしれませんが、、、
真理の基準ってなんですか?
皆さん、自分の行動を決めるときに何をものさしにしますか?
マスメディアですか?ソーシャルネットワークですか?それとも…?
真理を見分けるというのは、はっきり言って至難のわざです。
客観的事実なんていっても、そのものさしとなる基準はひとつではないわけですから、真理をとらえるのは一筋縄には行かないものです。
テレビが言っていることが、全部本当だと思うのは、とっても危険です。
あれらは、ある人が作り出したものですから、ある人たちの主張として聴くのがちょうどいいでしょう。
では、誰でも自由に発言できるSNSなら真実味を帯びるのか。
時にはデマも流れて大変なことになりますよね。
熊本地震の時に、動物園からライオンが逃げたというデマ情報をツィート人がいて、
あっという間に拡散して、大混乱になりました。
「隣人を守りたい」という、人々の良心が裏目に出た、ポスト・トゥルース現象のひとつだったと思います。
2017年は、もはやポスト・トゥルースの時代なのか?
「事実なんかどうでもいい」という乱暴な考え方の人は、まだまだ少ないと思います。
やはり、改竄された情報ではなく、誠実な観察に基づくデータというのは、力を持っていると信じます。
人々は、真理に触れれば、心の向きを変える用意があると思います。
世の中、まだまだ、捨てたもんじゃないぜぃ。
ですが、社会を形づくる私たちは、真理を見分ける目をいつも磨くことが大切です。
この一年、このことを心に留めたいと思います。
「真理は我らを自由にする」。
お写真は、国立国会図書館の貸し出し・返却コーナーの上にかかっているものです。
もし、これが国会図書館から外されるようなことがあったら、いよいよ、ポストトゥルースの時代の到来でしょ。
これは、驚くことに、聖書に由来する言葉でもあります。
主イエスは、「私は真理だ」といい、「真理はあなたがたを自由にする」と仰いました。
真理こそ、まことの自由を与えるものです。
真理を押しのけて、ひとりよがりな主張がまかり通ることがないように、目を醒ましておきたいと思います。